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「津波被災地の支援について」西條剛央 × 岩上安身:インタビュー対談 Part1

●1:はじめに

岩上:ジャーナリストの岩上安身です。本日は早稲田大学大学院商学研究課程の専任講師である西條剛央さんを招き、お話をうかがいます。西條さんは宮城県出身だと聞いています。

西條:はい、仙台市出身です。

岩上:実家が被災されて大変な中、宮城県の海岸部にあたる三陸町の被災状況を実際に見てこられ、また支援活動も行ってきた。東京に戻られたばかりでお疲れとは思いますが、ぜひ現地の話を聞かせていただきたいと思います。まず宮城県に行かれたのはいつだったのですか?

西條:先週の木曜日(※3/31)です。実家が仙台なので、震度7が宮城を襲ったと聞いたときは、両親の死が一瞬、頭をよぎりましたし、すぐ戻ろうと思いました。自宅は津波が届かない高台にありますが、ボロ家なので、潰れただろうと思っていました。

岩上:連絡はすぐには取れたのですか?

西條:すぐにではありませんが、安否の確認がとれました。当日連絡がとれなければ、自衛隊の救助を待っていても仕方ない。もう行くしかないと思っていましたが、幸い無事でした。タイムラグがありながらもメールのやり取りができ、向こうは大変な状況のようだけれど、僕はこちらでできることをやろうと思って、いろいろ記事を書いたりしていました。原発の問題もあるし余震も強い。行きたい気持ちはあっても、僕の家族に心配をかけてしまうという不安もあったので、なかなか行けなかった。それに、行ってもどれだけのことが貢献できるのかわからない。ガソリンがまったくないし、足手まといになってもしょうがない。そういう思いを持ちつつ、タイミングを見ていたという感じでした。

そのうち、そろそろガソリンが回り始めそうだというタイミングと、余震もこれ以上大きいのはなさそうだし、原発もそんなにひどいことにはならなそうだという状況になってきた。

岩上:原発については、予断を許さない状況はありつつも、注水が一応成功して、とりあえず急なメルトダウンはないのではないかと思えるようにはなりました。ただ、避難勧告の出ている地帯を通るといろいろ面倒はありますね。

西條:迂回はできるので、大丈夫かなと思ったんです。

岩上:葛藤があるわけですよね。すぐに駆け付けたいという気持ちと、行けば当然一人分の食糧を必要とする。支援者に届けなくてはいけない食糧を自分で食べるはめになる。現地に必要な分を支援に行く人が使ってしまうジレンマを、救援初期の時点では誰しも持つと思います。

西條:もどかしい思いをされてると思います。

岩上:「東日本大震災」という名前をつけられたように、東日本一帯のとりわけ太平洋側は、一律に大きな被害を受けたという印象が強い。実際そうだったと思いますが、震災が起きてから3週間が経ち、被災地の情報はネットあるいは個人発信、もちろんマスメディアでも伝えられてはいますが、刻々と変化している。1週間内に起こった印象的なニュースを記憶にとどめていても、どんどん変化が生じていると思います。

西條:本当にそうです。僕が現地入りしたときは、ひとつのガソリンスタンドに対して、3つの学区に渡って車が並んでいた。何キロ程度ではない混みようです。ところが2日後には渋滞が一気に解消した。

岩上:それは仙台近郊ですか?

西條:そうです。それくらい変化が早い。僕らが宮城に向かい始めたときは、石巻方面の道路が混んでいました。普段はまったく混む道路ではありません。だから、ここ数日でガソリンが手に入るようになって人が動き始めた。被災地に行きたかったけど行けなかった人たちが向かい始めた。

岩上:公共交通機関もそうです。先日茨城へ行ってきましたが、被災地ではないというイメージがあっても、じつはかなりの被害が出ています。常磐線が県内最大の主要な路線ですが、県庁所在地のある水戸まで、最近になるまでまったく動かなかった。そういう状況があまり伝わっていない。これは東北各県も同様だと思いますが、県内の交通機関が寸断されていて、関東でも同じ状況は続いています。ただそれがつながり出すと、復興に向かって行く場所が当然出てくると思います。おそらくいまは復興の度合いの濃淡がはっきりし始めているのではないでしょうか。

西條:そうだと思います。今日も宮城県の北部にある、海岸沿いの雄勝町の住人と電話で話してわかったのですが、地元ではガソリンが手に入らないから使わないようにしている。でも、仙台市でかなりガソリンが回り始めたから、ここ数日のうちに給油することも可能だろうと判断して「まったく使わないでしのぐという手段はとらなくてもいい」とアドバイスしました。要するに、そのぐらい情報が何も入っていない。ネットもつながるところが対策本部に一ヶ所ありましたが、その設定もうまくできてない。それに漁師が多いから、twitterというツールがあることも知らない。

岩上:無線は使っているでしょうけれど、船に積んでいるでしょうし、それがやられてしまった。陸の無線機器も破壊されたとなると、情報を入手するといえばテレビと新聞になるでしょう。新聞はもちろん津波でやられたところには届かないでしょうから、テレビやラジオを見聞きできない状態になっていると推察はできます。

西條:陸の孤島でしたね。前日に行こうとしましたが、大きな橋が途中で崩落していて進めない。他のルートを走りましたが、これがすごかった。自衛隊が海を埋め立てて道を作った。だから車の横50センチから外は海です。そこをガタガタと走って行った。

●2:現地の情景(1)

岩上:西條さんが撮られた写真がありますから、それを出しながら現実の状況を話していただこうと思います。


西條:これは南三陸町に行く初日の写真です。三陸海岸の南で、岩手からつながっているリアス式海岸に位置します。

岩上:仙台よりも北に位置するということですね。

西條:はい。そこに向かう途中の写真で、自衛隊の車が全国から来ている様子がわかります。次の写真ですが、「津波で仙台市が壊滅した」というイメージがあるかもしれませんが、それは正確ではなく、海岸部の低いところが壊滅しています。それ以外は、やはり対策もされていて、倒壊した建物も少ない。今回直下型地震でもなかったので、津波の地域とそうじゃないところでは被害の差がクリアーです。普通の景色がいきなりこの写真のようになります。突然変わります。

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岩上:先ほど復興の濃淡について触れましたが、復興できないほど厳しい状況にいま置かれている地域は、津波を食らった沿岸部の地域だということですね。

西條:そうです。全然違うと思います。被害規模の桁が違います。

岩上:震災直後にはこういう写真がたくさん出たんですが、これは直後ではなく3週間経ってもこのような瓦礫の山の状態ということですね。

西條:僕は取材として行ったというつもりはまったくなく、ただできることをしたいと思っただけで、だから計画を立てて行ってないんですよ。とにかくバンに荷物を満載にした。クオリティ・オブ・ライフ、生活の質を上げるための、たとえばお酒だったり、子供たちにはおもちゃだったり、あとは女性に向けてのコスメなど、「これは現地にないだろう」というものをそろえて行きました。

岩上:ぎりぎり生存を確保するレベルから、もう少し上の物資ですね。この画像はどこですか?

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西條:南三陸町に入ったところです。本当に現地に行きわたっていないものを届けたいという思いがありました。すでに放送されている地域なら、物資は届けられているだろうと思ったんですよ。ですから、現地の様子をネットで調べるといったこともせずに行こうと考えた。

岩上:これはもう廃墟ですよね。海岸から割合近い位置なんですか?

西條:そうでもないと思います。

岩上:津波の被害を食らったところですよね?

西條:道路をずっと走っている間に見る光景は、津波で全部なぎ倒されている。テレビとか写真で見ると、被災地域は「点」で、だから「ここ」だけがやられたというイメージを持つかもしれませんが、走り続けるあいだのどこもかしこも全滅なんです。もう本当にすさまじい。壊滅とは、こういうことなのかという感じです。

岩上:ここも海沿いですか?

西條:いや、ここは川です。北上川も十何キロか遡りましたが、壊滅でした。

岩上:つまり、川に沿って海水が逆流し、溢れたわけですね。この場合、なぎ倒すというのが一番ふさわしい表現なのかもしれません。浸水なんてものじゃありませんね。

西條:もう本当に走っているあいだずっと壊滅の風景が広がっているから、やっぱり言葉を失いますよ。ですからこのときに思ったのは、これでは避難所がどこにあるのかも全くわからない、どうしようかなという感じですよね。どこかにはあるんだろうけど、どうやって見つけるのかも問題でした。

岩上:ところどころに鉄筋コンクリートの4、5階建ての建物が残っていて、その躯体だけは保存されているわけですよね。だから屋上あたりにいて助かった人もいるだろうし、時には高さが足りなくて、波が覆いかぶさって、波にのまれてしまったケースもあるでしょうね。

西條:そうですね。かなり海から離れてもこの惨状ですからね。

岩上:ここは山沿いですよね。南三陸町のどこかですか?

西條:正確にはわからないです。ただ、現地の方に話を聞いたんですけど、最初に海が2、3キロ引いて、底が見えるくらいになったらしいんです。

岩上:地震が起きたその直後に波がいきなり襲ってきたのではなくて、引いていったというわけですか。

西條:向こうの人は海底が現れたらまずいと知っている。大津波が来るということで、僕が話を聞いた人は、「これは少しばかりのことじゃねえぞ」と思って高台に逃げた。まったく高台がないわけではないんですよ。けれど、そこの地区では亡くなった方の4分の3が上流にいた人だったということです。「ここまでは来ないだろう」と思っていた方が亡くなったみたいです。

岩上:奥まった内陸にいて高台に家があるような人たちは、津波が来ても自分のところまで波は届くまいと思っていた。そういう人たちのところにむしろ波は襲いかかって来た。

西條:そうです。

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岩上:すごいですね、これは。爆風で吹っ飛ばされたみたいですが。

西條:これは現地で降りて、そこから周りを映してみました。割と海岸に近いところです。本当に報道されていないと思ったのは、道路の奥に高架橋の線路が通っていたのですが、そこも破壊されていた。現地の人は、高架橋の線路のさらに上くらいを船が流れているのを見たという。

岩上:つまり高架橋まで水没してしまった?

西條:そういうことですね。しかもなかなか水が引かなかったらしい。建物の屋上にしがみついてた人がいたわけですけど、その日の夜中の12時に津波の第二波が襲ってきた。高架橋を水没させた水に覆いかぶさって、さらに大津波が来たらしいんです。しがみついてた人はみんなやられてしまった。それで結局、人口の半分は亡くなられたということです。

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岩上:これは、届けた物資を子供たちが分け合ってるところですね。

西條:そうですね。現地に行くまでは、想像している様子とは違うだろうとは思っていましたが、向こうに行ってひと通り地域を走ってみてわかったのは、その予想すらはるかに超えていたということです。これほどまでに違うかと肌で感じましたね。

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岩上:マスコミの報じ方と現地の現実というのは、どうしたって落差が生じるだろうと思うんです。僕もメディアに関わってますから、メディア側の話も聞いています。テレビだと、地震が起きたらすぐにクルーが飛び出しています。

あるテレビ局の報道関係だと、22時間かけて宮城あたりに着いている。ところが、一生懸命報じようとしても映せないものだらけ。すごい数の遺体があるわけです。震災直後から10日間ぐらいの間で、おびただしい遺体を見たそうです。バラバラになった死体もあった。

さらにたくさんの車があります。ほとんどが逃げ出そうとしていたところで、渋滞になっていた。そこに津波がやって来た。だから、どの車にも遺体がある。テレビはそこにカメラを向けないし、レポーターも報じない。でもそれが生々しい現実だろうと思います。

3週間経った様子はどうでした?

西條:自衛隊が入ってまだ捜索してるところもありますが、僕らが見るかぎり遺体は見当たらなかったです。ただ、確実にありますよ。捜索できるわけがないです。さっき見たような壊滅状態ですから。

岩上:瓦礫と化した廃墟の中にある可能性が高いわけですから。

西條:それは間違いないと思います。僕の兄は仙台市消防局に勤めていて、彼に聞く話だと、要はカラスが集まってくるところを捜索すると言うんですよ。

岩上:ああ。なるほど。

西條:だから、津波は本当にすごいとしか言いようがない。電信柱は折りたたまれてる。いまテレビに映っているような電信柱は最近になって臨時に建てたものです。だから電気もつながってはいます。

車も形状がわかればいいくらいにぐちゃぐちゃになっているので、中にいた人間はひとたまりもないと思います。現地の方もおっしゃってましたが、首とか手足のない遺体ばかり。そのため自衛隊も海中を捜索したそうです。でも、車や家、それから網、そして遺体があまりにも多い。

岩上:捜索したのは、穏やかな水位になっている浅瀬のところですよね? 海中に引きずっていったということですか?

西條:そうですね。僕も信じられない。本当にきれいな海なんです。あんな津波があったなんて信じられない。でも、自衛隊は潜ってすぐに引き上げてきたみたいですね。

岩上:あまりの惨状で何かを引きずり出すこともできない?

西條:網もあるので絡まって危険だということですね。

岩上:要するに海中に物があるという段階ではなく、いろいろ浮遊してたりして、絡まってしまうという状態。訓練された自衛隊のダイバーですら危ないとなると、これは普通の人は入りようがないですよね。海中にブルドーザーを入れられるわけではないですからね。

西條:ですから、本当に国家的な事業としてやっていかないといけない。多くの町が瓦礫になったわけで、その質量を考えてもとんでもないことです。今後何年もかけての課題なのかなと思います。

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岩上:海辺の町の惨状は、写真あるいは動画で伝えられて、ある程度はわかっている話ではありますが、海中に車や建物や残骸、人も引きずり込まれ、おそらくは海岸線から一歩踏み込むとそういうおびただしい廃墟が広がっている。それは多くの人がまだ知らない事実でしょうね。

そう考えると、これから先も普通に漁を営んだり、海水浴ができたりするということは全く幻想ですね。海中に容易に入っていけない。

西條:本当にそうだと思います。

●3:現地の情景(2)

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西條:この写真は、町というか廃墟というか、もう言葉もなかったところで降りたときのものですが、僕の父と、株式会社 アイウィルビー の社長で松前さんという方と、北川貴英さんという旧ソ連の特殊部隊が採用していたシステマのインストラクターの方と4人で行きました。言葉もなくみんな呆然と歩いて、僕と北川さんは、ある建物の中に入っていったんですよ。その建物は本当にこんな感じで、もうむちゃくちゃなんですけど、キン肉マンのおもちゃだったりとか、そういうものがいっぱい落っこちているんですよね。

けれど、そこはさすがに海岸に近かったので、きっと逃げただろう。逃げていてほしいと思いました。2階に上がって、違うところから階段を降りたら、「待合室」と書いてあった。そこは病院だったんですよ。

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岩上:建物のコンクリートの躯体だけあって、それが何の建物かはわからなかった?

西條:そうです。入ってみて、中を見て初めて病院だとわかるというような惨状なわけですね。病院ですから、動けない人もいたでしょうから、亡くなられた方もいたと思います。実際、何か変な匂いもしました。そこで驚いたのが、鳥が死んでいたことです。空を飛べる鳥がなぜ死んでいるのかと思ったんですけど、けっこうな死骸があるんですよ。鳥すら逃れられなかった。

岩上:ああ、空を飛ぶ鳥が。1、2羽をたまたま見つけたという程度ではなかったんですか?

西條:大量ではないですが、それにしても飛べるはずですからね。ちょっと何なのか理解できなかった。あと、こういう思い出の品みたいなものは、あまり映せないですけど、いろいろ落ちていて本当にかわいそうですよね。

それから、こういう何もないところがありますが、僕らも最初から何もなかったんだと思っていましたが、違うんですよ。地面をちょっと掘ると床が出てくるんです。だからテレビで見ると、建物がいくつかあった程度の町を想像するかもしれませんが、違うんです。たまたま頑丈な建物だけが残った。

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岩上:立て込んでる普通の町を想像しなくちゃいけない。

西條:それが全部粉々にやられてるっていうことですね。

岩上:地面のように見えているのは、よそから運ばれてきた土砂が堆積しているだけで、その下を掘ると床や屋根や柱が出てくるということですよね。恐るべきことです。

西條:そうですね。僕も行くまでは、テレビの報道も見ていたのでちょっと知ってるつもりになってましたが、実際に行ってみたら、「これほどまでとは」と思いました。しかも、こういう光景はこの街だけではなかった。100キロ近く海岸線を走りましたが、同じように壊滅ですね。だから本当に高さが全てなんですよ。風景がイチ/ゼロで、普通か/壊滅かなんですよ。

岩上:多少揺れて瓦が落ちてビニールシートが被せてあるという程度の被害だったりするところもある。

西條:何も被害を受けていないところもあります。けれど、ちょっと低くなると全部やられています。それから、防波堤が全部壊れていたのも印象に残ってます。

岩上:津波が押し寄せてきたとき、防波堤自体を破壊しながら前進したということですね。

西條:ものすごいエネルギーだった。一緒に行った松前さんや北川さんとも話したのですが、肌でわかったことは、「津波は防げない」ということです。防ぐことはできないです。

岩上:防波堤程度では防げないということですね。

西條:無理ですね、あまりにもすごすぎて。南三陸町出身の後輩がいて、今回の震災で祖父母が亡くなられた。彼はそこの土地を継ぐことになっていました。僕が家に帰ったときに彼から電話がかかってきて、「土地を継ぐ立場にあるんだけれども、自分の周りの人間はここにはもう住みたくないと言っている。どうすればいいか」と、泣きながら話す。都会の人は移動することが普通ですが、田舎の人はできればそこにずっと住みたいんですよ。都会の人と感覚が違う。

岩上:故郷を離れて住みついた人が多い。とりわけ東京はそういう人が多いですから、移動にも慣れています。

西條:けれど、土地の人たちは、ここだけで代々生きてきた人が多い。

岩上:しかも親戚や友人、知人、家族、みんな同じ地域に住んでいるわけですよね。西條さんの両親が無事であったことは本当に何よりですが、身内の中にまだ安否の確認されていない方がいるのですか?

西條:伯父の行方がわかりません。従兄弟が震災の翌日から現地に入って、海沿いの若林地区をずっと探しています。ただ、どこを探していいかもわからないような状況です。

岩上:住まいが海に近かった?

西條:地震の直後に連絡が来て、「自分は大丈夫だ」と話したそうです。津波が来るのが遅かったらしい。伯父のもっている倉庫は、仙台空港の道を挟んだすぐ横で、だから、たぶん逃げたとは思うんですけどね。

岩上:でも今の段階では、安否が確認できない。

西條:そうですね。「グランデ21」というところに死体安置所があって、遺体が集められています。未曽有の災害ということで収集の方法論もなく、いつどこで見つかったのかという記録もないまま集めてしまったため、余計わからない。その上、遺体の損傷が激しく、手足がなかったりするため、基本的に見れないそうです。だから写真と持ち物で判断するみたいです。

岩上:体が千切れていたり、もしくは部分そのものであったりというのを人が見て確認することはちょっとできないですね。

西條:できないと思いますね。「ニューヨーク・タイムズ」の写真がネットに載ってますが、瓦礫の下から子供の手が出ていたりという様子を日本のメディアは報じていない。でも、事実はこういうことなんです。2、3万人という数だけ聞くとわからないけれども、ひとりひとりの人間に対して悲しんでいる。

岩上:遺体安置所に確認には行かれたんですか?

西條:従兄弟はずっと回ってます。途中から、遺体は見つけられないので車を探す方針に転換したみたいですが、車も見つからない。

岩上:従兄弟というのは、安否のわからない伯父の息子にあたる方?

西條:そうです。娘は東京にいて、妊婦のため行きたいけれど行けない。でも、旦那さんに連れていってもらったみたいですけどね。気持ちはわかります。僕も故郷を見ておかなきゃいけないなって思いました。取材ではなく、できることを少しでもしたいということです。

●4:想定外のことは必ず起きる/東京

岩上:とにかく身内が故郷が心配だ、この目で見なければ、助けなければ。そういう思いがあったと思いますが、同時にどこかでアカデミシャンとしての冷静な目で故郷の現状を見つつ、被災者の支援と生活支援、復興を考え、政策提言をしていこうという思いもあるのではないでしょうか。

そういう意味では、冷静に事実というものを拾い上げていく作業も感情を抑えながら行っていたのではないかと推察します。本当につらい思いを噛みしめながら、押し殺しながら収集されたと思います。さきほど言われた、「防波堤では役に立たない」ということも、これから発信していかれるのではないでしょうか。

西條:そうですね。

岩上:やはり間違った津波に対する認識、防災計画が同じ悲劇の繰り返しになってしまうと思います。

西條:本当にそうだと思います。ですから、僕が思ったのは「高さがすべて」だということです。津波を「受ける」とか「防ぐ」とかいう発想は機能しない。もし高層マンションが建っていたら、助かっただろうなと思いました。実際に大きな建物は残っています。けれど、田舎は基本的に一戸建です。だからすべて壊滅した。

岩上:海辺の町に高層マンションを建てようという発想は普通ありませんね。

西條:あっても、オーシャン・ビューといって広い面を海に向けます。でもそれだと津波の直撃をもろに受けてしまう。

岩上:ビルの建て方も変えなきゃいけないということですね。

西條:ポイントは、つまり今回の出来事で明らかになったことは、「想定外のことは必ず起きる」ということです。それだけはわかったと思います。だから原発にしても、想定外のことが必ず起きるわけです。どれほど技術が発達したとしても、隕石が落ちてきたら対応できないわけです。

岩上:壊れたときに起きる災厄が途轍もないものは、もう作ってはいけないということですね。

西條:そういうことですね。津波も同じで、これ以上すごいものがくることだってあるわけですよ。

岩上:これがマックスかは誰にもわからない。言い切ることはできません。

西條:そうなったときにどうするか。さきほどの動画では森が映っていましたよね。リアス式海岸なので、高い土地がないわけではないんです。ただ、みんな利便性から低いところに下りてくる。そこで僕が考えたのは、まず30mくらいの高さの土地に高層マンションを建てれば、それだけでも津波に対応できる可能性があるということです。

それから建て方。菱形の角を取ったような流線形にして、その先端を海側に向ける。それによって波をいなす。引き潮にも対応できるようにしておく。魚のように波をいなして、ダメージを受けないようにする。

ただ、燃えて流れてくるものもあるので、平地だったら土を盛って、鉄筋を打って、高台相当の土台を作った上に建物を作る。そういう防災を施したマンションを定間隔で建てる。密集させると逃げ切れないので、定間隔で建てれば一番近いところに逃げられます。

岩上:海岸部を再度復興して、人が住むことができるようになるかもしれない。いまは、この土地を去ろうと、こんな土地は危険すぎるからここに残らないでくれと、そんな声が土地に住んでいる人から、あるいはその土地から離れている人からも挙がりかねないほどの事態が起きているということですよね。

西條:対策がなければそうならざるを得ないですけど、いまの案だったらいけると思うんです。先ほども話に出ましたが、都会の人と感覚が違って郷土愛が強い、やはり土地に根付いて、植物のように生きてきた人たちですから、そこから引きはがすことは死を意味することもある。先ほどのアイディアは、できるだけその気持ちを尊重するにはどうしたらいいかと考えて思いついたことなんですよね。

岩上:標高30~40mのところに居住地があれば、港や漁業、あるいは海運を復興させることはできると思います。でも居住地が高台にあっても、働く人の多くが海辺に来るのであれば、昼に津波が来たらどうしようもない。海岸のいちばん近いところに、居住用でなくても、非常に頑丈な躯体の、避難できる高層の建物をつくる必要がありそうですね。

西條:あとは人間の心ですね。僕は心理学を専門としているのでその見地から考えると、やはり町づくりには人間の欲望を考慮しないと駄目だと思います。やはり人は便利なところに集まりたがります。津波にあった経験があっても、どうしても記憶も薄れてしまいますし、漁業をやってる人でも海の近くにいるほうが便利だと考えたから、海に近いところに住むようになったわけです。そうやって徐々に集まって自己組織化していく。いまは行かないかもしれないけど、いずれ海沿いに住むようになる。

だから、そういうことを考慮した上で、海岸沿いの便利なところにちゃんとした建物をつくれば、巨大津波にも対応できるかなと思います。

岩上:いまは港そのものが壊れて荷揚げができなくなっている。茨城で話を聞いたところによると、茨城は飼料の生産量が日本一なのですが、港が破壊されたために荷揚げができない。ちなみに生産量二位が宮城です。その二つが打撃を受けてしまい、在庫が4月20日になくなってしまうそうです。港にむりやり接岸しても、人力で下ろさないといけない。その後、陸路で運送しようとしても交通機関が寸断されている。途方もない人力とコストを必要とするから、畜産が壊滅しかねない。そうした二次被害、三次被害が起こりえます。

宮城についても漁港のイメージを持っている人が多いと思いますが、漁港はいろいろな物資を運び入れる重要な拠点になっていて、でもこれを見るかぎり、そういう機能もかなり破壊されていますね。

西條:まさにそうです。とにかく海岸部はほとんど壊滅状態です。そういうところにパルプ工場などもありましたから、出版界もいまは紙が手に入らないといって大変なことになっています。

岩上:東北は農業中心という印象がありましたが、じつは工業開発が進んでいて、下請け、孫請けを含めてかなりの数の生産工場があります。

西條:医療の検査薬をつくっていたのもほとんどが東北だったようで、医師も物資がなくなって困っていると話していました。

岩上:社会のさまざまな製造分野に影響を与えている。内陸にあって工場は被災していなくても、原材料が入荷されないために操業中止。そうでなくても輸送ができないから生産力の低下が著しい。そこで働いている人たちの雇用へのダメージも大きい。

西條:雇用は重要な課題になってくるでしょう。支援を考えたときに、被災地でもある程度落ち着いてくると手持ち無沙汰になる人が出てくるから、そういう人を雇用して復旧に携わってもらえばよいと思います。義援金などのお金をただあげるのではなく、雇用に向けていかないといけない。

漁業で言うと、一艘何千万円もする船がすべて破壊されています。掛け金を一千万円程度にしても、漁業組合は250万円くらいしか出せないらしいです。農協だと500万円程度。だから、漁協に掛けていた人は何も手元に残らない。

岩上:ここまでの天災だと、通常の保険や損保では想定外ということで免責されてしまう可能性が高いでしょう。いまはその答えをおそらくどこの会社も持っていないと思います。あまりにも被害が大きい上に、社会的な非難を浴びたくないはずですから。

でも、現実的には全部補償していくと損保が潰れかねない。それほどの被害だと思います。結局のところ、国が借金をしてでも債務補償をしていくのか、あるいは直接支援をしていくのかが問われると思います。

西條:そうですね。たとえば「25兆円」と聞いてもあまりピンとこないと思いますが、これは1億円を25万人に配れるということです。赤十字にはいま600億円くらい集まっているそうですから、他にもいろいろ入れて仮に1000億円くらいあるとします。これは25万円必要なのに1000円しかないという状態です。そうなると、税金の投入は避けられない。これは今後議論されていくべきことだと思いますが、たとえば子供手当を本当に困っている人にだけ支出するとか。あるいは、根拠となるデータにいろいろ問題があるとされる京都議定書から離脱すれば3兆円が浮くわけですよね。5年あれば15兆円。残りの10兆円は多少の増税で乗り切れるかもしれない。そういうことをやらずに本当にすごい増税をしてしまっては、経済は立ち直れない。

岩上:資本の論理からいって、復興に関して非常に弱々しいアナウンスしかなかった場合、被災地に再度投資をするよりは海外に投資したほうがいい、というふうになってしまいます。資本を呼び戻すためにも、インフラの再整備は絶対に必要なことです。そこに働く人の生活が成立していかなければ、マンパワーも確保できないわけです。

西條:テレビの報道では原発の扱いも少なくなり、安全の連呼で危険性が忘れ去られようとしています。「元気出していこう」という訴えが増えていますが、この惨状で元気うんぬんを言える状況じゃない。

関東圏も大きく揺れたから、住んでいる人は生命の危機を感じたと思います。僕もそうです。それでも、実際に現地に行ってみて甘かったなと思いました。ましてやこれが西日本になれば、良し悪しではなく危機意識はそこまで高くはないでしょう。僕も逆の立場だったらそうだろうと思います。

岩上:阪神大震災が起きたとき、首都圏の人たちは関西の被災者の痛みについて理解していないと言われました。

西條:そうですね。自分を振り返ってもそう思います。

岩上:ただ、この間、名古屋から京都、大阪へ行って来たんですが、西日本が元気な状態であることは日本経済全体を考えれば良いことだったと思います。物資の生産や支援をできる後背地があって本当によかったなと思いますね。ただ、もし今回起きた地震によるプレートの歪みから直下型地震が東海東南海に生じて、西日本にある原発のひとつでもメルトダウンを起こすようなことになったら、日本全体がもう完全に壊滅してしまう。

西條:その可能性もありました。なかったのはただの結果論であって、問題は、何が本当の事実なのかを誰も言えなかったということなんですよ。そもそも原発に関する情報自体が限られていますし。

東京でも震度6、7の直下型の余震があってもおかしくなかった。だから、東京にとどまるべきだとかいろいろな意見がありましたけど、どれが正しいかとかいうことは結果からは言えない。

岩上:実際問題として、地震が来るか来ないかについていえば直下型地震が到来する危険性は何も解消されてもいません。明日起こってもおかしくないわけですからね。

西條:僕は宮城県沖地震を4歳のときに経験していて、よく覚えています。要は、今回のことは「第二次宮城県沖地震」と言えるようなものではないということです。予測されていた震源ポイントはまだ動いてない。消防士の兄は、「まだ本当に油断できない」と言ってます。

岩上:震災が起きた後、静岡で震度6という大変大きな地震がありました。東京もすごく揺れた。その瞬間、「これは予測されていた例の東海沖地震がついに起きたのか」と思いました。

西條:僕も思いました。

岩上:震源地の中心の上に浜岡原発が建っているので、これは壊れてしまったかと思ったんです。幸い無事でしたが、結局予想されていた東海地震とは全然関係ない地震だった。ということは、まだまだ直下型地震のエネルギーが温存されているということです。本当に悩ましい問題です。

西條:だからこそ、いまの事態から何を学ぶかということが大切です。東京だって津波の防災措置をされていません。明日起こったら壊滅ですよね。

岩上:「スーパー堤防」をつくっても、もしかすると無駄かもしれない。

西條:日本一の堤防といわれた11メートルの堤防が破壊されたと言いますからね。それは単に波に乗り越えられたということではなく、破壊されたわけです。

岩上:津波となると体積が大きく、重量もあるから、ものを潰していく力がある。

西條:そうです。いわゆる水という感覚ではとらえられない。

岩上:ビルなんかひとたまりもないですね。

西條:防波堤について言えば、ずっと車で走りながら「随分海がよく見えるなあ」と思ったんですよ。でも途中で、防波堤のかけらみたいなものを発見して、そこで初めて「ここには防波堤があったんだ」とわかった。

岩上:防波堤が無事だったら、それが壁になって海が見えなかったんですね。

西條:おそらくそうだと思います。

今後のことで言うと、想定外のことがいつ起こってもおかしくない。その前提で考えれば、やはり東京にさまざまな機能が一極集中しているいまの状態は、リスク管理からするとどう考えても不合理です。

岩上:効率性や生産性という観点からのみ考えている。生産性や効率性から考えると、どこか一ヶ所がダメージを受けても他のところでバックアップできるようなシステムというのは一見無駄に思える。しかし効率一辺倒の考えでは、災厄が来たときに取り返しがつかないことになりかねない。

西條:しかし、日本ではそういうことが起きると明らかになったわけです。今回の震災ではマグニチュード9.0という規模の地震が起きた。その日本はどう考えても地震の最多地域のひとつです。そうでありながら、いまだにあらゆる機能が偏在している東京に住み続ける選択をすることは、リスクをわかっていないということです。そこがやられたらすべておしまいということですから。原発の問題に限らず、何かが起きたときにある程度の対応をちゃんとできるようにする。そのためにはやはり、機能を分散させることですよね。

大阪都構想が言われていますが、二極化したところで両方やられたらどうするのか。これから真剣に考えていかないと、明日は我が身ですよ。

岩上:そうですね。いまは都知事選前で、本当はいろいろ考えなくてはいけない課題があります。たとえば築地市場を豊洲に移転させる問題です。選地については僕もずっと取り上げ続けてきていますが、その問題だけにとどまらず、すべては一極集中の方法論です。

大規模流通に再編し、中小規模の流通あるいは市場を閉鎖していってしまう。重要な問題でありながら、メディアは注意を払っていない。

西條:たしかにその通りです。

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