編集部注:本記事は、パジ(安宅基)が2026年2月にVoicyで配信した「AGI時代の差別化」の書き起こしを再構成したものです。言及している状況は配信当時のものですが、テーマが普遍的なため、当時の文脈と語りを残しています。
プロンプトエンジニアという職種が、ものすごい勢いで持ち上げられて、静かに下火になりました。
スキルが無価値になったからではありません。差別化が生まれる場所が、引っ越したからです。
——しかも、すでに三度。
職人が包丁を持つのと素人が包丁を持つのでは、仕上がりがまるで違う。AIも同じだと、ずっと言われてきました。その比喩がどこまで有効なのか、順番に見ていきます。
一度目の引っ越し:プロンプトの精度から、試行回数へ
少し前まで、磨き上げたプロンプトには絶大な価値がありました。定義を細かく書き込めば、安定して高品質な出力が返ってくる。ただ、そのプロンプトを書く時間が、自分でやるより長くなることさえあった。本末転倒すれすれの職人芸です。
ここに、AI特有の変数が絡みます。ランダム性です。
まったく同じプロンプトを10回投げても、大成功が1回、大失敗が1回、残りは平凡——そういう確率分布を持っている。通常のツールなら、同じ入力には同じ出力が返るものです。AIはそうではない。ここが道具の比喩の限界なんですよね。
この性質がわかると、戦い方が変わります。一発で仕留めようとするのではなく、投げる回数で分布の右端を引きにいく。差別化の場所は、プロンプトの精度から試行回数と粘り腰へ移りました。
二度目の引っ越し:試行回数も、AIが引き受けた
ところが、その試行回数すらツール側が吸収し始めます。
ひとつのモデルを使いながら、内部で複数のサブエージェントが試行錯誤を回す。推論に時間をかけて、出力候補の中から良いものを選んでから返す。人間が受け取る時点で、すでに平均点が上がっている。
プロンプト側も同じです。荒っぽく投げても、AIが意図を汲んで補正してくれる能力が、もう十分に備わっている。企画段階でざっくり方向性を膨らませてから渡せば、だいたい狙いどおりのものが返ってくる。
粘り腰は依然として有効です。ただ、それは「誰でもできること」に近づいた。誰でもできることは、差別化ではありません。
三度目の引っ越し:判断を、どこまで渡すか
ここからが本題です。私が思う次の差別化は、技術の使い方ではありません。
AIが人間のあらゆる能力を超えてくる——とりわけ認知と判断において超えてくる。そのときに、人間側がどう構えるか。意識改革のほうです。
具体的に言うと、こういう問いになります。自分より正確に判断できる相手がいるとき、自分の判断に固執するのは誠実さでしょうか、それとも怠慢でしょうか。
この問いに先に答えを出した人と、答えを保留し続ける人とでは、数年後の動き方がまったく変わります。前者は判断をどこまで渡すかの線引きを持っていて、後者は毎回ゼロから迷うことになる。
技術は誰にでも同じ速度で降ってきます。降ってきた技術に対して自分の役割をどう組み替えるか——そこだけは、まだ横並びになっていません。
ランダム性は、消えたのではなく吸収された
もう少し実務的な補足をしておきます。試行回数の話は、消えたわけではありません。担い手が変わっただけです。
以前は人間が10回投げて、いちばんマシなものを選んでいました。いまはツールの内側で候補が作られ、選ばれてから返ってくる。人間から見える回数は1回でも、裏では回っている。
ここで実務上の分かれ目が出ます。裏で回っている前提を知っている人は、結果がイマイチだったときに「もう一度」ではなく「条件を変えてもう一度」と動く。知らない人は、同じ条件で投げ直して同じ分布を引き直します。
同じツールを使っていても差がつくのは、この一点です。腕の差というより、仕組みを知っているかどうかの差なんですよね。そしてこの差も、ツールがもう一段賢くなれば消えます。消える前提で使うのが、たぶん正しい構えです。
包丁の比喩は、そろそろ返却する
職人と素人の話に戻ります。あの比喩が成立するのは、道具が人間の手の延長にある間だけです。
包丁が自分で献立を考え、味見をして、盛り付けまで済ませるようになったら、職人の腕とは何を指すのか。答えは「何を作るかを決めること」と「客が誰かを知っていること」に寄っていくはずです。
あなたはいま、プロンプトを磨いていますか。試行回数を増やしていますか。それとも、渡す範囲を決めていますか。
三度目の引っ越し先に立っている人は、まだそれほど多くありません。今日はここまでここまで、バイバイバーイのバイ!